ねこつきラジオ第197回 過度な期待をどう考えますか?

こんにちは。ねこつきラジオパーソナリティーのマボにゃんです。

今パリオリンピック開催中です。収録しているのは2024年7月30日になります。

競技は始まったばかりですが、それでも様々なドラマがあって楽しませていただいているところです。

オリンピックに限らず、スポーツの世界レベルの大会を見ていつも感じることがあって、今日はそのことについて話を進めていきます。

オリンピックは、確かに大きい大会ですし、見る側としては楽しかったり心が熱くなったりワクワクしたりします。一方で選手たちに対する期待の大きさに、とても疑問を感じています。確かに応援したい気持ちはマボにゃんだけではなくても、皆さんも見ている方々もお持ちなんだと思います。

まぁそれは個人レベルではなく、マスコミやメディアも多くの期待を選手にかけ、応援という形で報道すると思うのですが、その期待に答えて結果に結びついたとしたらよかった、そしてさらなる期待をという感じで盛り上がるでしょうけれど、その期待に応えられなかった時、この時に期待をかけた人たちは、その選手に対してどういう思いを抱くのでしょうか?

この過度な期待は、個人で言えば、勝手に期待をして応援をして、というところでとどまるのかと思うのですが、公的なというかメディアとかマスコミニケーションなどのレベルでいくと、その収めどころをどうするのかというのはとても考えなきゃいけないことじゃないかと思います。

金メダル確実と報道し、本人たちにも伝え、盛り上がりを作ることも大事なんでしょうけれど、一方で少し周囲は冷静にしていることも、選手たちにとっては大事な部分もあるのではないかと思います。選手には、期待をかけられるとそれを力にする人もいるでしょうし、それがプレッシャーになってしまう人もいるでしょう。一概に括れはしませんが、そもそもその選手たちは金メダルを取るために競技をしているのではなくて、好きで始めたり、競技を続けていたら上達していき、選手としても成績がついてきてオリンピックを意識するようになったとか、これもいろいろな道があると思うんです。

その過度な期待に答えられなかったときのインタビューで、マボにゃんがとても違和感を感じていることは、金メダルを期待された選手が金メダルを取れなかったときに、「金メダルを取れなくて申し訳ありません」ということです。

選手は1人でその場にいるわけではなくて、様々なサポートをしてくれている方々の力もあって、その場にいるでしょうから、そのサポートしている方々に対して申し訳ないという言葉や気持ちは、マボにゃんもわかるところがあるんですけれど、国民に対してや報道している人たちに対して謝るということは、必要ないんじゃないと思います。選手一人ひとりに聞いてみなければわからない部分ではあるのですが、そもそも好きで始めたとか楽しくて続けたとかっていうことだと思うんです。オリンピックに出ることや、オリンピックでメダルを取る、取らないということは、その本人の中でというか、本人のレベルで考えることであって、周囲の過度な期待に翻弄されるということではないのではないかと思います。

オリンピックを始めとする、選手が国を背負うような大きな大会を見ていると、いつも最近この違和感に行き着いてしまいます。純粋に応援できればいいと思うし、メダルを取れなかったとしても、結果も大事ですけど、その過程をきちんと伝えてもらうことも大事じゃないかと思います。

今日のラジオは、マボにゃんのもやもやっと思うところがあって、いつもより低めなんです。リスナーの皆さんには申し訳ないと思う、それこそなんか変な気持ちもありますけれど、大事なことと思ったのでテーマとして話してみました。

皆さんは過度な期待に対してどのようなお考えをお持ちでしょうか?

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